地域に根付いた電気屋を継承したい。そう思えるようになったきっかけと父への敬意。

有限会社田中電器 田中 和孝さん

有限会社田中電器

田中 和孝さん

有限会社田中電器は、創業70年を超える老舗の電気設備会社で、志木市を中心に地域に根付いた事業を展開しています。
今回は、同社で働き、志木市商工会青年部の2024年度の副委員長も務める田中さんにお話を伺いました。

サッカーに明け暮れた少年時代から、前職である理学療法士になるまで。

今日はよろしくお願いします!まず、ご出身は志木でしたっけ?

そうです。地元は志木で、志木小・志木中卒です。
ずっとサッカーやってて、高校は浦和南高校行きました。

結構ガチなとこですよね?赤き血のイレブンで有名な。確かこの間選手権も出てた様な・・・

そうですそうです、結構ガチでやってました。
ただ、怪我が多くて・・・こんな見た目じゃないですか??(田中さんはガリガリです。笑)腰の骨折っちゃったりして・・・・。
その後、大学とか行って適当に過ごして、ビジョンがないまま社会に出るっていうのがどうしても嫌だったから、手に職をつけたいと思ったのが理学療法士への道の一歩ですね。

仕事帰り、作業着のままインタビューに来てくれた田中さん

長男だと思うんですが、会社を継ぐと言う選択肢はなかったんですか?

なかったですね。祖父が会社を始めて自分が5歳の時に祖父が急逝してしまい、父親が継いだんですけど、突然の事だったのでその時は会社も家族も本当に大変で。
僕は思春期だったから、その影響をモロに受けちゃって、もうはっきりとその時の記憶があるから、こんなんなるんだったら電気屋はやらないって言うのが念頭にあって、高校の進路決める時に理学療法士を選びました。
そこから35歳位まで、なんだかんだ13年位は理学療法士として働きました。

事業継承という言葉に出会い、妻の後押しもあって電気屋を継ぐ覚悟が出来た。

そこから事業を継ごうと思ったきっかけはあるんですか?

ある程度年重ねてきた時に、その事業継承っていう言葉と出会って、そうだなぁ、僕もそういう立場なんだよなって薄々思い始めて。
そのタイミングで妻が僕の母親の事を助けたいって言ってくれたんです。
将来的には介護もしたいし、仕事的にも助けたいって言ってくれて、僕より先に田中電器に入って。当時は都内に住んでたから、そこから志木まで通ってくれて。
そんなこんなで、僕も元々事業継承について悩んでたから、じゃあ俺も長男だし、覚悟決めて電気屋やろうかなみたいな感じです。

継いで欲しいとかを言われたとかではなく?

親ではないけど、弟が先に電気業界に入ってて。弟はいずれかは田中電器に戻るという気持ちの中で、ずっと俺の事を誘ってくれてたんですが、僕が入ってもやることないでしょってずっと拒否してたんです。
僕は中しかやらないよって言ってたんですけど「それでも良い。来てくれるならやっぱ親族が入るっていのうは嬉しいから」って言ってくれて。
それも大きかったかなと思います。
結局当初から現場も出てるんですけどね。

父が築いた、地域に根づいたこの事業を守りたい。

事業内容としては電気工事だけですか?

うちはそう、電気だけです。
仮設電気工事とか、そういうのもやりますね。本当に電気に関わることはなんでもやります。
電気設備工事って枠なんですけど、新築も1からやりますし、祭り関係の電気工事もしますし、あと家の中の電気で困った事の相談や、漏電しましたとかの対応もしますし。法人個人関係なくやります。
コンセントをここに増やしたいんですけどっていう相談を頂ければ、じゃあどうやってやろうかって所から相談に乗ります。
電球や蛍光灯取り替えてくださいとかも全然やります。

真面目で優しい人柄が全面に出てるので、地域の人にも愛されるだろうなと感じました。

事業や会社に対しての想いとかは?

僕は何も知識がない状態で入社したから、もうとにかく社長(父親)の真似しようっていう感じで。
見積もりの仕方、請求書の作り方とか、そういう内面的なところは全部もうそっくりそのまま真似するようにしてたので、思いとかっていうよりも、父親の作った土台を継続して、地元に強い電気屋を作って行きたいなと思ってます。
決して簡単な仕事だとは思ってなかったけど、実際に入社してみて、想像してた何十倍も大変だったんです。
それを踏まえて、あの時この会社を守り抜いた父親はすごいなって思って尊敬する様になって。
だからこそ、父親の築いたこの土台は守って行きたいですね。

人柄がにじみ出てる座右の銘と、インタビュアーが田中さんを青年部イチのイクメンだと思う理由。

座右の銘やそれにまつわるお話があれば教えて下さい。

インタビューの際に事前に質問をもらって、なんだろうって考えたんですけど、言葉とか偉人の名言とかじゃないけど、ぱっと出てきたのは真面目。
あと考え抜く癖がある、考え抜く。あとはケセラセラってよく言うじゃないですか。なんとかなるだろうっていう精神が最終的には出てくるかなぁ。
この3つを軸に、今まで生きてきたなっていう風に思います。

確かに人柄に出てますよね、真面目とか考え抜くとか。そう思ってきたのはなにかきっかけがあったんですか?

いや、ないです。笑
この39年を振り返ってみると、その時その時で、やっぱりその3本の軸で生きてきたなと言う実感があって。
今回のインタビューが本当に考える良い機会で、じゃあ僕の軸はもうこの3本なんだなって。
じゃあ今後、電気屋をやっていくにもこの3本の軸にしていこうっていう風に今回思いました。

ちなみに休日は何してるんですか?趣味とか?

基本的に週に一回位しか休みがないので、家族と出かけてることが多いです。
子どもの習い事の試合に行ったり、ショッピングモールに行ったり。
はじめは保育士目指そうかなって思った位に子供が好きだから、休日に一緒にいるのが本当に楽しいです。

家族の話をしている時が一番イキイキしてました。

青年部で得た繋がりを、もっともっと大きな輪にしていきたい。

青年部は昔お父さんが入ってたから引き継いだ感じで?

そうです。先程話したみたいに、地元で地域密着でやっていくなら、全部入れよって言われてしまって。笑
だから、青年部が何かもわからない状態で入部しました。

入ってよかったなみたいな事ってありますか?

入ってよかったのは、皆言ってますけど、やっぱりこうやって色んな人と知り合えて、仲良くなれた事かなと。
あと、スパイシーフェスでわたあめを売ってた時に、買ってくれた人が今のうちの会社の隣の隣ぐらいの人だったんです。
その後ばったり会って「あれ?わたあめ作ってた人ですよね?」って声を掛けて頂いて。「そうですそうです、喋りましたよね!」なんて会話をして。
そういう繋がりが後から出来たりもする。それが結構嬉しかったかなぁ・・・

では、最後に今後の事業の展望や青年部活動について一言お願いします!

その話の続きじゃないですけど、その人にとって多分僕はわたあめの人って認識だから、それを志木市商工会の青年部ですよって事をもっと知ってもらいたいなと思います。
もちろん田中電器の人だけど、志木市商工会青年部にも入ってて、地域の為になんかしてるなぁ位でも良いなと。
そういった繋がりをもっともっと増やして行きたいと思います。

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