自分で決めたことは、やり通す。目的に寄り添う総合広告代理店の初志貫徹な生き方

株式会社ZENKAi

代表取締役:前田 晃平さん

人と比べるのをやめたら、うまくいった。ランニングが教えてくれた自分との向き合い方

ご出身はどちらですか?また、幼少の頃はどんな子供だったか教えて下さい。

出身は東京都足立区の竹の塚です。正確には生まれは茨城県なのですが、生後半年ほどで東京に来ているので、記憶はすべて足立区ですね。幼少期から、今と変わらずずっと明るい子どもでした。この明るさのルーツは、たぶん父親です。父は大手食品メーカーでトップセールスになったこともある営業マンだったのですが、性格はかなり破天荒で(笑)。その影響は絶対にあると思います。

小さい頃はサッカーや体操教室などいろいろな習い事をしていて、とにかく足が速い子どもでした。そのままサッカーを続ける予定だったのですが、小学生の時に、トラックにひかれる大きな事故に遭ってしまって。左足に大きな傷が残り、切断するかもしれないというレベルで、移植手術を受けて1年間、入退院とリハビリを繰り返しました。それでも翌年の運動会には普通に参加して、その後はずっとリレーの選手でした。あのときの大変なリハビリの経験が、僕のガッツの原点かもしれません。

退院後に出会ったのが野球です。小学3年生からのめり込んで、高校まで続けました。中学3年生のときには、キャプテンとしてチームを東京都大会優勝、関東大会出場に導くこともできました。

休日は何をしてますか?趣味などがあれば教えて下さい。

趣味は完全にランニングです。休日どころか毎日5キロほど走っていて、もはや趣味というより生きがいですね(笑)。始めたきっかけはシンプルで、太ったからです。体重が今より7キロくらい増えてしまって、「これはやばい、痩せないと」と走り始めました。

ただ、途中から目的が変わってきたんです。走っていると、思考がすごく整理されるんですよ。走るようになってから仕事が前よりも順調になっていったので、「これはルーティン化させよう」と決めて、もう4年間続いています。自分ルールは1日5キロ、月間150キロ。年間では1800〜2000キロくらいを目指していて、累計ではもうすぐ日本一周分の距離に届きそうなところまで来ました。今は「365日毎日走り続ける」ことにも挑戦中です。

出張のときも必ずランニングシューズを持っていくので、1泊2日なのにスーツケースという(笑)。出張先の知らない街を走るのが、これがまた面白いんですよ。もう歯磨きと同じで、走らないほうが気持ち悪い。仕事の合間に走って頭をリセットして、また仕事に戻る、という使い方もしています。あとは、家族と公園に出かけたりして過ごすことも多いですね。

座右の銘やそれにまつわるお話があれば教えて下さい。

「初志貫徹」です。自分で決めたことは、最後までやり通す。ランニングを続けるうちに、「自分がやると決めたことをできないのはダサいな」と思うようになったんです。誰が見ているわけでもない、完全に自己満足の世界なんですけどね。

面白いのは、走り始めてから、人と比較することをやめられたことです。以前は「あの人が売り上げを上げた」と周りを気にしながら仕事をしていました。でもランニングのペースって、誰かに負けたくないから速くなるわけじゃなくて、「自分がもっとこうなるには」と思考を巡らせた結果、速くなっていくものなんです。仕事も同じで、会社に課せられた目標ではなく、自分の中でどこまでやるかを決めるようになってから、めちゃくちゃうまくいくようになりました。他人の評価ではなく、自己評価。この考え方が自分には合っていたんだと思います。

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「その目的は何ですか?」から始まる仕事。お客様に寄り添う総合広告代理店として独立

改めて事業内容を教えて下さい。

自分では「総合広告代理店」と言っています。イベントの企画・運営もやりますし、SNSマーケティングも、キャスティングも、制作も、グッズ制作も。幅が広すぎて、総合広告代理店としか言いようがないんです(笑)。基本的には僕がディレクションを担当して、デザインやSNS運用などの実働は信頼できるパートナーにお願いするスタイルです。広告出稿まわりだけは、全部自分でやっています。

デジタル広告よりも、街頭のフラッグや大型ビジョンといった、リアルの場での広告を扱うことが多いですね。クライアントはエンタメ業界が中心です。イベントでは、チケット収益をシェアする形で自分もリスクを背負いながら、一緒に作り上げていくこともあります。

事業や商品についてのこだわりはありますか?

お客様に本当に寄り添うこと。これに尽きます。自分がお金を払うクライアントの立場に立って、「本当にそのお金の使い方でいいのか」を必ず考える。発注されたから受けます、という仕事はしません。実際、お断りすることも全然あります。

例えば「チラシを作りたい、予算は100万円」と言われたら、まず「その目的は何ですか?」と聞きます。認知を増やしたいのであれば、「同じ予算を出すなら、こちらのほうが成果が出ますよ」とちゃんとお伝えする。グッズを作りたいというご相談でも、「そもそもなぜ作りたいのか」から一緒に考えて、最近のトレンドも踏まえながら「こちらを作ったほうが売れて、手元にお金も残ると思います」と提案する。目的を確認して、その目的にコミットできる提案をする。それが僕の仕事のやり方です。

起業したきっかけを教えて下さい。

経歴からお話しすると、大学時代に芸能関係の会社でアルバイトをして、若い世代向けのマーケティングを手がける広告代理店で働いたのが、この業界に入ったきっかけです。一度、中古車販売の会社に就職したのですが、自分には合わず1年半で退職して広告の世界に戻りました。その後、大手人材情報会社からヘッドハンティングを受けて26歳で入社し、全国の部長の中で一番の成績を残すこともできました。

独立の直接のきっかけは、去年、友人とその会社を辞めて一緒に事業を始めたことです。正直、「大きな看板があったからお客様がついてくれていたのかな」という不安もあったのですが、いざやってみると、会社員時代よりも売上を上げられてしまって。「これはもう、自分でやったほうがいいな」と。もともとは65歳くらいまでゆるく長く働ければいいと思っていたのですが、考えを変えて、40歳までは全力で走り抜けると決めました。一番自分にきちんと利益が残る選択肢を考えたら、独立しかなかった。今は完全に1人でやっています。

なぜこの地域で事業をやろうと思ったのでしょうか?

実は、志木に来た理由は「家を探していたら、良さそうな駅だったから」なんです(笑)。当時の勤務先に通いやすい沿線で探していて、たまたま志木で降りてみたら、お店もたくさんあるし雰囲気もいい。「ここだ」と。

ただ、そこから街を好きになった理由は、はっきりしています。僕はお酒が大好きで、1人で飲み歩くんですよ。志木にあるお店は、たぶんほとんど行ったんじゃないかというくらい。そうすると知り合いが少しずつ増えていって、この街に誰1人知り合いがいなかったのに、青年部に入る前からいろいろな人が僕のことを覚えてくれて、1人で飲んでいても迎え入れてくれるようになったんです。ご近所さんも含めて、「この街、いい人が多いな」と。それがきっかけで、どんどん志木が好きになっていきました。

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独立したからこそ、人と交わる場が必要だった。好きな街の仲間とともに描く4年後

そもそも、なぜ青年部に入ったのでしょうか?

本来なら一緒になるはずのなかった大人の人たちと、意見を交わし合えることに魅力を感じたからです。全く違う業界で、違う価値観で仕事をしてきた人たちと、1つの目標を一緒に達成していく。それは自分の成長に結びつきそうだなと思いましたし、志木という街が好きなので、同じ志を持った人たちと出会えることは、自分の人生をより豊かにしてくれそうだなと。

会社を辞めてから痛感したのですが、大きな組織にいた頃は、違う部署の全く違う価値観の人たちと話す機会がたくさんあったのに、独立するとそういう機会が著しく減るんです。凝り固まってしまうのはすごく嫌でしたし、目上の人から何か言ってもらえる機会もなくなった。自分からそういう場に接触していかないと、あんまりいい大人になれなさそうだなと(笑)。だから自己成長のために入った、というのが正直なところです。

青年部に入ったメリットがあれば教えて下さい。

まさに、今お話ししたようなことがそのままメリットになっています。違う業界・違う価値観の人たちと意見を交わせること。そして、好きなこの街で、同じ志を持った仲間と出会えたこと。独立して1人で仕事をしている自分にとって、こうした機会は本当に貴重だと感じています。

最後に今後の事業の展望や青年部活動について一言お願いします!

事業については、40歳までに自分で決めた目標を必ず達成する。これに尽きます。具体的な数値目標も自分の中で決めていて、それに向けて、まずは1人で全力で走り抜けるつもりです。もし目標を達成できたら、その先はお金のためではなく、本当に一緒に仕事をしたい人たちと、これからのことを語り合いながら働く。そんなふうにステージが変わっていくと思っています。

青年部活動については、40歳までは事業に集中するため大きな役職にはつけないと思いますが、活動にはしっかりコミットしていきます。そしていずれは、先輩方のように大きな役割を担えるようになりたいですね。まずは目の前の4年間、初志貫徹で走り抜けます!